宇宙の年齢は 150億年 と言われている。まあ、本当のところは解らないが、これが多少間違っていたとしても、1000億年とかいうことはまずないだろう。150億年は長いか短いか?人類の歴史はせいぜい100万年、文明を持ってからなら1万年がせいぜい。地球の歴史(50億年くらい)を1年に例えると、人類の登場は大晦日の最後の数分くらい、というのはよくある例えだが、そう考えると宇宙の年齢はとてつもなく長く感じられる気もする。だが、しかし、である。今日の話しは150億年ではいかに短いかという話しである。
世の中には偶然というものがある。長いこと会っていなかった小学校の同級生とばったりであって恋に落ち、結婚してしまうということもあるだろうし、たまたま毒ガスの仕掛けられた電車に乗り合わせたために命を落としてしまうこともある。これらは全くの偶然である。こういう偶然を考慮したら、人生まさに何が起きてもおかしくない。そういうことまで心配していたら生きていけるものではない。だが、本当に「偶然」は全てを許すのだろうか?「偶然」のうちにも、絶対、起きないことってないんだろうか?
で、また、ここで質問。
「 10^{10}匹 のサルがデタラメにタイプライターのキーを打ち続けたら、そのうちの一匹がたまたまシェークスピアのハムレットを打ってしまうことはありうるだろうか?」(見て!)
ちょっと、 計算して見ると 解ることだが、これは150億年 という「短い」時間の中ではけっして起きないことである。では、逆にサルがたまたま打つことができる最大の長さは?なんと、たったの 17文字 なのである。日本の俳句ならたまたま作れるというわけだ。10^{10}匹のサルが宇宙の年齢の長さだけタイプを打ち続けて初めて「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句が一回だけ偶然打たれるわけだ。偶然では芭蕉の俳句は出来ない。17文字といえども、立派な芸術であるという意味が解る(?)。
ここまで書くと「いや、それでもやっぱり、確率の問題だ。絶対無いとは言えないだろう」という人がいるかもしれない。それは全くその通り。ひょっとしたら起きるかもしれない。だが、いわゆる物理の「法則」と呼ばれるようなものの中でこの「確率」に頼った法則はいっぱいあるのだ。
例えば、氷を湯のなかに入れるとどうなるか?当然、氷は溶けて、湯に混ざり水になる。実はこの当然のことが「確率」に支配されている現象なのである。「お湯の中の氷が溶けて当然」と思うのなら、10^{10}匹のサルがハムレットを打つということも有りえない、と思わなくてはいけないのである。なんだか、すごく不条理な気がするかもしれない。だが、これは宇宙の年齢が「たった」150億年しかないことにより生じているのである。
この原理は一言でいうと「殆ど起きないことは絶対起きないことと同じ」という原理だが、これは結構我々の日常では使われているのである。一番、身近なところではダイヤル錠がそうだ。一番単純なダイヤル錠はおなじみの0から9までの番号が打たれた3本のリングでできたものだ。番号の組み合わせはたったの1000通りしかないから、10^{10}のサルが同時に頑張ったら一瞬で開いてしまうから、「宇宙の年齢」の時間の範囲で絶対起きない等というようなしっかりしたものでは無いけれど、普通の人間の根性では1000通り全部試したりはしないから、安全とみなされているわけだ。これのもうちょっと高級なのが銀行の暗証番号。これだって4桁しかないから、組み合わせは10000 通りしかないけれど、銀行の端末機の前で10000通りも試すなんてできっこないから、安全弁として機能するわけだ。結局、「サルとシェークスピア」も「湯と氷」も番号錠も暗証番号も、「滅多に生じ無さの程度」と「対象になる時間の長さ」の組み合わせが違うだけで、本質的には全部同じことなわけだ。
で、結局、この原理の本質は「時間の長さ」に比べて、「滅多に生じない程度」がうんと小さいということが大事だということだから、「時間の長さ」の方が変わってくれば滅多に生じないと思っていたことが生じるようになってくる。サルの例では一秒間に10回 しかキーを押せないと仮定したが、もし、サルが一秒間にキー押せる回数がうんと増えれば、当然、宇宙の年齢でハムレットを書けるようになってしまう。勿論、サルにこんな芸当は不可能だが、キーを打つのが計算機ならどうなるだろう?
ちょっと計算して見ると解る様に計算機とサルのタイピングのスピードの差なんて全く問題にもならない。依然としてシェークスピアのハムレットを宇宙の年齢以内に打ち出すなどということは不可能だ。だが、これが銀行口座の暗証番号となるとちょっと話は違ってくる。今のようにみんなが銀行にある機械へ行ってお金を出し入れしているうちはいいだろう。でも、ネットワークの普及がこの早さでずっと続けば、そのうち、自宅でいながらにして銀行口座からお金を出し入れしたいという要望は必ず出てくるだろう。その時、4桁の暗証番号では話にならないのはあまりにも自明だ。銀行の計算機に自宅の計算機をネットワークを通じて繋げようというのだから、銀行の計算機にとっては相手が人間なのか人間のフリをした計算機なのか区別はできないだろう。人間にとっては 10000回電話をかけるのは苦痛かもしれないが、マックの通信ソフトで銀行に10000回電話をかけて異なった10000通りの暗証番号を全部試すことなど誰にもできることだろう。これでは、全く話にならない。勿論、暗証番号の桁を増やして行けば済むことだ。だが、人間が覚えられる桁数はどれくらいだろうか?電話番号と同じ10桁位か?これでは、早晩、計算機のスピードとネットワークの通信速度の上昇に追い付かれるだろう。(なにせ、10桁、つまり、10、000、000、000は10、000 の「たった」の100万倍しかないのだ。)かといって、自分の銀行口座のお金を動かすために、毎回、シェークスピアのハムレットの長さくらいの暗証番号を打ち込みたいという人もいないだろう。
幸運なことに、世の中には頭のいいひとがいて、そういうときどうすればいいかちゃんと考えてくれている。だから、とりあえず、心配することはない。でも、これから計算機が進歩してくれば「殆ど起きないことは絶対起きないことと同じ」という原理を崩すものがどんどん出てくるかもしれない。その時の心構えを良くしておいたほうがいい。さもないと、君の家のペットのポチがシェークスピアを書き上げたり、水が突然沸騰したりするのを見て仰天することになるかもしれない.......。