ミツバチを知らないものはいないだろう。子供たちに虫の名前をあげてくれと頼めば、モンシロチョウやカブト虫と並んで真っ先に名前があがる身近な虫だ。蜂蜜やロイヤルゼリーといった食べ物を供給してくれるという意味では今では廃れてしまった養蚕と並んで数少ない虫の「家畜」と見ることもできる。それ程、よく知っているように思えるミツバチだが実際に我々が目にするのは一匹で飛び回っている姿だけである。だが、ミツバチの本当の姿は多数の個体が集団になって行動するときにこそ現われる。その本質はまだほとんど判っておらず、現在でも精力的な研究が続けられている。今回のインタラクティブ・サイエンス・コラムでは、玉川大学農学部昆虫学研究室で日夜ミツバチの謎に挑み続けている佐々木先生に日々明らかになるミツバチの生態研究の最前線を伺った。
ミーティングも価値あるものでしたが,ハイライトは,エコツーリズムの一つのプローベでもある゛ハニーハンティング″でした。オプションの形で学会前に企画されたもので,今回は研究者向けでしたが,主催者のマレーシア農科大学のDr. Mardan は,一般向けにこういう形の企画がどんなものか,といったことも考えているようでした。
ホテルから10分ほど走り(実はこのすぐ近くに翌朝野生のゾウの群が現れた!),夕闇せまるジャングルのなかの小径を登ること約40分。乾期に入っていて,ジャングルのなかは意外に乾燥している。その中でもひときわ高い巨木が目的地。地上50メートルの梢に50を越えるオオミツバチの巣(video-2:QT1.5M)がその威容を現しました。巣は直径1メートルを越え,一つの巣で5ー6万匹の蜂がびっしりついているはず。それらがそろそろ沈もうとしている夕陽に黒々と浮かび上がっています。ジャングルの林床におもいおもいに陣取って見上げる中,日没を迎えるとコウモリが飛び交いだし,ジャングルの虫達(とくに変なセミが印象的)や鳥,獣のBGM が何ともいえません。そんな中,双眼鏡の視野に突然無数の蜂の乱舞(video-3:QT2M)がはじまったのです。これがご存じの ゛イエローレイン″(ジャングルの中でえたいのしれない黄色い物質が降り注ぐことから生物化学兵器ではと,世界的に話題になった)。実はオオミツバチの集団排泄。黄色いのは花粉と色というわけ。さらに,なんとこんなに暗くなってから,雄バチ達の集団結婚飛翔が続きます。数万匹のミツバチ(飛ばないものも含めるとこの木だけでおよそ250万匹!)の羽音がウオーンと50メートルの樹冠から降り注ぎました。もう真っ暗で何も見えなくなったころ,いつのまにか月が煌々と照って再び巨木達が違った印象を与えます。
ジャングルの中にしつらえた簡単な休憩所で弁当を食べ,しばしのディスカッション。そしてこれからがメインイベント。開始を待つこと数時間。午前3時。木の間が隠れに星だけは見えますが,もう月はありません。松明が準備され,3人のハニーハンターがはるかな梢へと 音もなく登っていきます(video-4:QT9.3M)。すごいスピード。下の者との連絡の合図(マレー語)が真夜中のジャングルにこだまし,50メートルの梢から松明の火の粉が長い尾を引いて散っていきます。そして再びウオーンという鈍い羽音。巣から煙で追われた数万の蜂達が真っ暗な夜空にさまよい,舞っているのです。真っ暗になるのを待ったのは蜂の攻撃をさけるためで,ハンター達は面布をつけていません。ただし,相手は闇にも強いオオミツバチのこと,僕でさえ流れ弾に当たったくらいですから,ハンター達も刺されているに違いありません。こうして蜂を追い払った巣から蜜のたっぷり入った部分を籐で編んだ篭に切り取ってロープで下まで降ろすわけです。暗くて樹上の作業を具に見ることは不可能でしたが,それはそれでよかったのだと思います。
今回は特別に,いくつもの巣の蜂達が互いに血縁関係があるのかを,それぞれの巣の蛹のDNA解析から調べるなどのこともありましたが(オーストラリアのDr. Oldroyd にやられてしまいました),それはここでは省略します。結局ハンティングが終わってジャングルを降りる頃には東の空が白みかけていました。
学会のあとはランカウイ島に渡り,ジープを借りて山中でネットを振ったり,珊瑚礁の島でスキューバダイビングにトライしたりした後に,中部のタマンヌガラ国立公園を訪れました。こちらはけっこう有名なのでご存知かもしれませんが,比較的安心してジャングルを満喫できます。しかし最奥のグヌン・タハンまでは50キロもあります。
動物観察用の無人小屋に泊まったとき,巨大なホタルをみつけたのが,こちらのハイライトか? 一匹左手に着けておけば(6センチくらいあり,かなり重い),時計が読めるどころか,それだけで手紙がかけるという代物でした。あとはサソリ,コウモリ・・・
今一つ面白いと気がついたのは,セミでも蛙でも鳥でも,鳴き声にリズムの要素が欠落しているように思われる点です。季節の区別がほとんどないことと関係があるかもしれません。これはあるいは誰かがすでに指摘しているかもしれませんが,一つの発見でした。