計算機とはつまり、「プログラム可能な機械」ということだろうか?もし、そうならその源流は19世紀の「階差機関」の考案者、バベッジにまで遡ることが出来、また、最初のプログラマーはバイロンの娘、エイダにまで遡れるという。もっとも、バベッジの計算機は機械仕掛けで蒸気機関駆動を想定して作られていた。現在の様な計算機の隆盛を生むアーキテクチャーは基本的に半導体技術の進歩無くしては語れない。非常に初期の電子計算機は真空管で作られていて、ごく簡単な回路を組むのにも部屋一つくらいの面積が必要で、まともな計算機を組み上げようと思ったら、それこそ体育館くらいの大きさの空間が必要だった。このような状況を救ったのが、大規模集積回路技術、LSIである。この技術を使えば、回路をあらかじめ基板の上に描いておくだけで望み通りの回路を組み上げることが出来る。後から配線する手間は一切無いのだ。しかも、絵を描くことさえ出来ればいいのだから、事実上「印刷できる最小の大きさ」で回路を組むことが出来る。最近の計算機の進歩とは突き詰めればいかに小さく回路が作れるか、という絶間ない技術的進歩そのものだったと言っても過言ではない。小さければ小さいほど、安くて高速な計算機が作れるからだ。
しかし、物事には限度というものがある。回路を描くための線をどんどん細くして行けばいずれ、物質を構成している最小単位である「原子」のレベルに到達してしまう。「そんなおおげさな」と言うも知れないが、原子の大きさは、たかだか、1ミリの一千万分の一しかないのだ。回路の中の配線の太さと原子の大きさが同じくらいになる日はもうそこまできている。
実際には限界は、配線の太さが原子の太さになる前にやってくる。計算機の基本である電子回路を司る法則が普通の電気回路の法則から量子力学の法則に移行するからだ。量子力学の世界では配線の中を流れる電子が隣の配線に「にじみ出て」しまう。つまり、配線のどこにどれだけ電気が流れているのか解らなくなってしまうのだ。これでは、回路なんて組めるわけが無い!
だが、よくしたもので人間には「災い転じて福と成す」という能力がある。それなら最初っからそういう前提で回路を組めばいいではないか、というわけだ。結局、計算機というのは足し算・引き算のような四則演算を行っているに過ぎないから、それを「どこに電流が流れているか解らない」という前提の元に実行する回路が作れればいいわけだ。これだけでも、普通の電気回路として動作しないような小さな回路を作ることが出来る、という意味で十分価値があったのだが、更に、すごいことを考えた人がいた。量子力学の原理を使って普通の電気回路の計算を越える演算が出来る回路を作れないか?」と考えた人がいたのだ。
その原理は簡単にいうと「いままでは一度に出来なかった計算を一度にやる」というやり方だ。量子力学の世界では、配線のどの部分に電子がいるのか区別できない。これは、逆にいうと「配線のどこにでも電子がある」ということだ。あるいは、「回路に電気が流れている状態の全てを重ねあわせた状態」と言ってもいい。普通の電気回路では足し算と引き算を同時にすることは出来ない。なぜなら、足し算のときと引き算のときは電気の流れ方が異なるからだ。だが、量子力学の電子回路では「引算の時の電気の流れ方」と「足し算の時の電気の流れ方」を両方同時に計算できる。このやり方を使うと今までとは比較にならないほどの計算を一度に行うことが出来る。この原理を取り入れたのが量子計算機である。
さて、ここまで読んできて賢明なる読者の中にはどこかおかしい、と感じられた方がおられるのではないだろうか。「全ての計算を同時にやったら答えも同時に出てくる。つまり、答えもいろいろな答えの重ねあわせの状態になってしまうのではないか?」1足す1と1引く1を同時ににやったら答えも1足す1の答えの2と1引く1の答えの0との重ねあわせで2と0の混じった回路の状態が出てくるはずだ。これからどうやって1足す1の答えの「2」と1引く1の答えの「0」を分離するのだろうか?実際、これこそが、量子計算機実用化の最大の難点だった。
実は最近、量子計算機が注目されている理由は、現実にこの困難を回避できる素晴らしいアルゴリズムが発見されたことによる。このアルゴリズムを使うと、非常に難しい問題とされていた大きな整数を小さな数の積で表す問題(例えば、1547=13×17×7とか)をごく短い計算時間で行うことが出来るのだ。大きな整数を小さな数の積に簡単に分けられるようになると、これからの計算機+ネットワーク社会で印鑑や鍵の役割を担うと思われている計算機暗号が簡単に破られてしまうのである。
ただ、現実には暗号破りに使えるような高性能の量子計算機は当分出来ないだろうと言われている。様々な技術的な困難があるからだ。この困難を乗り越えるにはまだ何十年もかかるだろうといわれている。しかし、逆にいえばたかが何十年のオーダーである。計算機が生まれてからここまでくるのに半世紀かかっていることを考えれば何十年という長さはそれほど、長い時間ではない。ひょっとすると、木村拓也が高倉健の年になったときに「カーンターンじゃねーか」と言いながらCMでいじくりまわすのは量子計算機かもしれない。