今回のタイトルは どこかで聞いたような感じではある。まあ、それはおいておいて、我々の周囲に燃えるものは多い。というより、燃えないものの方が少ないだろう。燃える、というのは酸化反応の一種に過ぎないから、燃えないものの方が少ないのは当然だ。だが、普通、我々が「燃える」と表現しているのは炎をあげて燃える場合である。ロウソク、焚火、紙、タバコ(ちょっと違うか)、全て炎をあげて燃えるものである。こういうものが普通我々が「燃えている」と表現するものだ。
だが、我々が「燃える」と表現するものの中には実際には燃焼とは関係ないものも多い。例えば、今話題の原子炉。「炉」という字を使っていることより解るように、専門家はいざしらず、我々門外漢にはやっぱり原子炉は「燃えている」ものなのだ。原子炉の「燃えた」あとの残りを「灰」というし、核兵器が爆発した後、空から降ってくるものは「死の灰」と呼ばれている。だが、実際には、何かが燃えているわけではない。
大体、原子炉の元になっている核反応をめぐる用語には誤解を招く物が多い。人間の体は強い放射能を浴びると細胞が崩れてしまう。その有り様が火傷に似ているので実際に放射能障害によって起きたその手の傷を火傷、と呼んでいる。原子炉が「燃焼」で、燃えカスが「灰」で、そばにいくと「火傷」をするとなると、これはもう原子炉の中でガンガン火が燃えていると言うイメージがあるかも知れないが、実のところ、全然、そうなってはいない。だから、まあ、「原子炉は本当は燃えているわけではない」と言われても納得できる。
だが、太陽になると、かなり話しは微妙になる。まず、宇宙空間で真空なのだから、酸素が燃えているわけは絶対無い。実際、太陽の中で起きているのは核融合反応だ。だから、「太陽が燃えている」というのは全然お話にならない大間違い、ということになる。しかし、実際に天体望遠鏡で太陽を眺めれば(まあ、僕も見たことはない。写真とかテレビで見ただけだが、まあ、構わないだろう。)「炎が上がっている」としか思えない。実際に、英語ではこれをflare(炎)と呼んでいる。
こう考えてくると、どうも、我々は「酸化反応かどうか」ということで「燃える」かどうかを判断しているのではなく、「炎があがっているかどうか」で燃える、燃えない、を区別しているような気がする。ところが、困ったことに「炎」ということに関しては科学は甚だ遅れている。太陽の炎も含めるように「炎」の定義を一般化するのは難しいことではないが、そういう一般化された「炎」の挙動は謎だらけで今一つよく解っていない。
古来、人間は炎とともに生きてきた。かつて、人類は炎を手にすることで、他の動物から峻別された。それは単に火を手にすることで、暖をとったり、他の動物を追い払うことができるようになったと言うのには留まらない。肉を調理することでより長生きでき、夜を無くして活動時間を長くし、更に、焼き畑で原野を耕地に変え、更に陶器や鉄器という道具の作成を通じて更に大きな飛躍をし、近くは産業革命で蒸気機関として人類に強大な力を与えた。昔、各界著明人に「人類最大の発明は何か」と聞く番組があった。文字、言葉、変わったところでは、車輪、というのがあったが「火」と答えた人はいただろうか。失念してしまった。が、「火」こそ人類最大の発明としてあげられてしかるべきだった。
その一方で、火は温暖化を通じて、放射性廃棄物やオゾン層の破壊以上の損害を地球環境に与えつつもある。かつて、人類に火を与えたプロメテウスは神によって罰せられたと言う。人類が生み出した最古にして最長の寿命を持つハイテク、火。来る新世紀に人類は火とどうやってつきあっていくんだろうか。それとも、「新エネルギー」の開発で「火」の使用を完全に停止することができるだろうか。
真管 → 通常爆薬の発火 → 核分裂爆弾(原爆)の「発火」 → 核融合爆弾(水爆)の発火
という何重もの過程を経て爆弾として機能している。最新型の水爆では更にこのあとにもう一回「核分裂爆弾」の爆発を加えて、更に破壊力を増す工夫がなされているようだ。技術が進歩したら、「きれいな水爆」ができるのかも知れない。まあ、でも、威力がすご過ぎて、工事用のダイナマイトの代わりとかには使えないんだろうな、きっと。