〔学会報告〕

物理教育シンポジウム「物理学会は教育に対して何ができるか」

日本物理学会 55回年次大会 物理教育分科(日本物理教育学会と共催)

田 中 忠 芳 鹿児島高等予備校,8900051 鹿児島市高麗町1510

200092225日,新潟大学五十嵐キャンパスで開催された日本物理学会第55回年次大会において,923日,標記の主題で物理教育シンポジウムが行われた。川勝 氏(香川大教育)ならびに 波田野 氏(帝京平成大情報)が座長をつとめ,小林昭三 氏(新潟大教育),佐藤文隆 氏(京大院理),川村 氏(慶大理工)による講演の後,総合討論では,小・中学校,高校,大学の各段階における現在の物理教育・理科教育を取り巻くさまざまな問題点が指摘され,それらをもとに活発な意見交換が行われた。

 

座長(前半):川勝 博(香川大教育)

日本物理学会の定款が変わり,物理学会として教育にどう取り組むかを考えざるをえなくなった。定款改定後はじめての物理教育シンポジウムであり,各先生から教育への取組みについて意見を伺いたい。

1.日本の物理教育の現状と問題点

小林昭三(新潟大教育)

 大綱化以来,大学の物理教育をどうしていくか問題が山積しているが,前半は,それについての調査結果をデータをもとに紹介する。後半は,この問題が小・中・高校の問題点とどのようにつながっているか,データを紹介しながら報告する。

§1 大学物理教育の現状調査の結果について

日本物理学会は物理教育委員会を設け,10年以上にわたり大学の物理教育についての調査を行ってきている。最新の調査は「大学物理教育(基礎教育および教養教育)に関する現状調査」(199810月から)があり,大規模な調査項目に関するアンケート調査を行うために「大学の物理教育調査ワーキンググループ」を設け,その調査回答者を全国のコンタクトパーソンに依頼して調査を実施した。発送数総計は338大学(410件)で内訳は,国立大学88125件),公立大学4453件),私立大学206232件),そのうち19997月末日の集計時点での回答数総計は179件(国立大学60件(国立医科大学4件を含む),公立大学16件,私立大学103件であった。

(1) 大学の物理教育にかかわる実施組織についての現状

現在では,ほとんどの教養組織が解体もしくは廃止された(専門学部や専門学科へ組み込まれた)。教養(共通)教育を実施する組織は脆弱化され,基礎物理教育系の専任教員も減少した。その結果,最近では,高校教育までの物理などの基礎学力の低下や多様化(物理を選択しない理系大学生の増加)などに対応するために,「基礎基本を重視した共通(教養的)教育」の必要性が高まっているにもかかわらず,教養・基礎教育組織の脆弱化により,それに応えることが困難な状況にある。10年前の調査と比較すると,大学基礎教育の担当部局が,国立大学では責任部局(教養)から自学部へ分散する傾向にあるが,私立大学では従来どおり責任部局(教養)で行う傾向にありあまり変化していない。平成125月に中教審の諮問「新しい時代における教養教育の在り方について」の中で,基礎教育の脆弱化に対応しなければならないことにふれられている。あるべき基礎教育体制が今まさに問われており,日本物理学会としてもそれに対して提言していかなければならない時期に来ている。

(2) 基礎物理カリキュラムにおける多様化と開講数・授業内容の変化

大学設置基準の大綱化以降,学部・学科の改組やカリキュラム改革が行われ,学部内の学科単位でカリキュラムや履修条件・状況の多様化が著しい。その結果,基礎物理が必須から選択へ,4コマから2コマへ,物理実験は半年型(セメスター制)が多くなる,という変更が目立つ。理工系の分野では,国際的にも基礎物理の教育の標準として「講義演習8単位と実験2単位」が最低必要と言われたが,それとは程遠い現実である。複合的な領域の新学科においては,多様化がいっそう著しく,物理教育の比重は低下する傾向にある。授業内容では,1コマに多くの内容を詰め込むか,分野の思い切った整理か,のいずれかへの転換が迫られている。

(3) 高校物理教育との連携について

大学物理教育と高校物理教育との連携については,学力低下や入学試験とも関係し,いろいろと問題点が多い。高校で物理を学ばなかった理系学生が増加している要因について,「入試のどのステップが重要な関係をもつか」という問いに対し,「2次試験で物理を課していない,かなりの学生が選択で選ばない」45%,「センター試験で物理を課していない,かなりの学生が選択で選ばない」27%,「推薦や後期日程などにおいて物理を課していない」25%,「入試で一切物理を課していない」18%,「本学では上記に該当する問題はない」10%,記述なし8 となっていて,「2次試験で物理を課さないこと」が大きく影響していると考えられる。しかし,自由記述による意見では,「入試で物理を課したいが受験者が少なくなるので背に腹は替えられない」という意見もある一方で,「大学入試や高校の授業で物理を選択しない状況を改善すべきである」という記述が極めて多く,日本における入試制度の問題の深刻さが浮き彫りになっている。結局,受験のために高校で少数科目主義をとることは,必要な学力を低下させ,大学入学後不幸を招く。理工系の分野では,数学や物理・化学などを高校で学習してきているほど,留年や退学が少ないことが知られている。

 10年前の調査では,高校で物理を履修してきていることを前提にして大学教育を行っている大学は,全体の40%であった。高校での物理選択率を学部別にみると,工学系の平均で85%,農学系では50%以下,医学系ではほぼ60%であった。大学側に,高校での物理未履修者に対する「対策あり」と答えたところは,ほぼ15%であった。それが10年間で50%にまで増加したということになる。

(4) 教育評価

必修の場合,「開講学期内での習得割合は何割ぐらいか」に対して,「9.510割」16%,「9割」22%,「8割」28%,「7割」19%,「6割」11%,「5割」1%,「4割」1%,「3割」1%,「2割」1 であり,開講学期内での理解度・到達度は十分とは言えない。「次の半年での習得割合」,「次の次の半年での習得割合」,「その次の半年での習得割合」と追跡してみると,必修科目でも卒業までに未習得者をなくするのは困難である。選択の場合は,必修の場合に比べて習得割合は悪くなる。

(5) 外国の大学における基礎物理教育の実情

 日本の教育行政は,国際的にあまりにも変わったことをやりすぎているのではないかと思われる。

米国のIntroductory University Physics Course およびUNESCO University Foundation Course in Physics で述べられている「大学における基礎物理教育の国際的な標準」によると,

〔講義〕 90分の授業を週に1回行い,これを1学期

1315週)に実施するものをユニットとして,4

ニットを計画する(日本流に数えると,2つの通年講

義あるいは4つの半年講義に相当し,全部で8単位と

なる),

〔実験〕 週1180分の1学期のユニットを1つ計

画する(日本流に数えると1単位になる),

〔演習〕 少人数の演習を適宜加えること,

となっており,この国際標準を

A)上回る講義を行っている大学:

メルボルン大学,精華大学,北京大学,復旦大学,エ

トバス大学,マレーシア大学,台湾大学,メリーラン

ド大学,イリノイ大学,ケンブリッジ大学,モスコー

州立大学,カイロ大学,モデナ大学,リンケーピン大

学など,

B)下回る講義を行っている大学:

インドネシア大学,ラオス国立工科大学,ニューヨー

ク州立大学バッファロー校など,

となっている。

日本では,工学部まで含めても,この国際標準「講義8単位+実験1単位+演習」を上回っている大学はほとんどないだろう。このような国際比較をもっと行い,日本の大学のあるべき姿について検討し,物理学会として提言していくことが必要である。そのためにも,もっと情報を収集し整理していく必要がある。

§2 学力低下問題

日本における,「知的な営みの危機」が深刻化してきている。少数科目入試に規格化される中で,高校ではより少数科目に絞って受験指導する傾向が加速され,例えば,数学や物理を学習しなかった高校生は,中学レベルよりも退化した学力のまま大学に入ってくる。小学校から中学校までの知的な営みも,縮小再生産の様相である。数学や物理が解らない理工系学生,生物が解らない医学部学生,統計を知らない経済学部学生などが増え,高校レベルの補習授業を大学で余儀なくされるケースが普遍化してきた。こうした,高校と大学の異常な接続に起因する深刻な現状を打開して,小学校から大学までの科学教育の新たな革新をはかることが,今の日本における切実な課題となっている。

(1) 小学校・中学校理科における授業時間数が縮小した経過とその影響

最近,日本の小学校・中学校の理科教育は,明治初期と比べても,戦後すぐや1970年代に比べても,相当程度後退したことは,授業時間数の変遷からもわかる。2002年からの次期教育課程において,理科の時間数が極端に減少したのは,週5日制への移行の影響もあるが,「生活科」や「総合的な学習の時間」のような新科目や新領域の授業が増加したことによる影響が大きい。

生活科・総合学習施行と理科教育軽視・理科離れ問題の経緯

1992年から小学校12年で理科・社会が廃止され,生活科が開始された。国民学校時代(1941)の低学年理科の設置以来,その50年後の科学教育における歴史的な後退といえよう。この1992年の生活科の本格化を契機にして,多くの文部省指定の研究開発校で,生活科に類する総合的な新たな教科を研究開発する動きが活発化した。研究開発校は,次期指導要領改訂のための「実質的な資料」提出をねらいとして設けられているものである。

1995年には35の研究開発校中21校(6割)が,教育課程改変のための実質的な研究開発を開始していたのである…生活科を6年生まで延長する生活体験科,表現科,地球科,人間科,総合学習等々。

他方,諸外国では,むしろ理科教育を小学校の1年生から充実させており,初等・中等教育において科学教育を最重要分野の一つとして位置付ける政策が進行している。例えば,米国のクリントン政権下では,以前からの「2000年までに数学と理科の成績を世界一にする」という目標を継承して,「初等教育では1日あたり30分の理科を行うべきである」,「低学年から理科教育を与えよ」という科学教育を重視する政策が実行されている。英国では,1987年以来の教育に関する実態調査に基づき,以前にはなかった低学年理科を1年生から行うことを含む内容の「全国共通カリキュラム」を1993年から実施に移している。フランスやドイツ,シンガポール等々,いずれも科学教育重視政策をとっており,日本の近年における理科軽視の傾向と比較して対照的といえよう。

理科離れ問題の社会問題化や自然科学系諸学会の科学教育軽視への抗議の影響

その後,理科離れ問題の社会問題化や自然科学系諸学会の科学教育軽視への抗議をへて,教科・領域を研究して新しい教育課程を目指す研究開発は大幅に減少した。1999年には,研究開発校制度は変更(公募制・大型予算化)され,新教科の研究開発は,小・中学校では英語や情報分野だけで,他は総合的な,ヒューマン科(道徳・特活・総合),ワールド学習などである。一方,中高一貫教育では,新科学技術科,表現科,産業基礎などで,結局,教科・領域の新設は全体の25%程度に縮小している。少なくとも小学校教育から「理科」がなくなることはなくなった。その上で,小・中・高校・大学の接続を改善していくことがあらためて問われている。

新学力観(関心・意欲・態度)や極端な認識的相対主義による科学教育の空洞化

 小・中学校教育に対して「権威がある」人々によって,従来の,客観的な科学を教育する価値を否定する立場(認識的相対主義)の発言がなされたりもしている:

「『客観的で真生な世界像』という前提は『現代の科学観』では肯定されていないし,また,従来の『科学の方法』観は,基本的に『科学の発見的文脈』と呼ばれる『創造的営為としての科学』の方法とはいえない,ことが明確になってきている。したがって,この点でも見直しが必要になろう。従来の『科学の方法』と呼ばれているものは,科学に直接関係するものではなくて,広く人間の知的活動一般において利用される知的スキルである。」(小川ら)

「総合的な学習の時間」への危惧

学力低下とのからみで,新教育課程の編成や新しく始まる「総合的な学習の時間」の実施においても,「学力を低下させるな」というのが常になっている。例えば,新潟県教育委員会は「総合的な学習の実施をあせらず(平成12年度までは無理をせず)学力向上のために対策を講じよ」としている。平成14年度(新学習指導要領)から始まる「総合的な学習の時間」は,小学校34年生で105時間,56年生で110時間,中学1年生で年間70100時間,中学2年生で70105時間,中学3年生で70130時間である。さらに,高校では36単位である。これは中学3年生の,国語や数学105時間,理科80時間,社会科85時間,音楽や美術や技術・家庭の35時間と比べると,いかに多いかがわかる。平成12年度から移行措置で,「総合的な学習」の研究会や書店の「総合的な学習」関係の本がおお流行りである。これはかつて流行っていた「生活科」と同じ様相である(「生活科」は失敗であったという評価が文部省筋にもあるという)。

(2) 高校教育の極端な多様化と少数科目選択化(入試用)への変遷

1951(昭和26)年度 〜 生活理科:

物理,化学,生物,地学 5単位 から,1科目必修(卒業に必要な最低単位は5単位)。

1955(昭和30)年度〜 生活理科:

物理,化学,生物,地学 3単位または5単位 から,2科目必修(卒業に必要な最低単位は6単位)。

1960(昭和35)年度 〜 系統学習の理科:

 物理A3単位,物理B5単位,化学A3単位,化学B5単位,生物…4単位,地学…2単位 から,12単位必修(普通課程)。

1970(昭和45)年度 〜 探究の科学,現代化:

 基礎理科…6単位,物理T,物理U,化学T,化学U,生物T,生物U,地学T,地学U 各科目T,Uともに3単位 から,基礎理科1科目 または Tを2科目 必修,(卒業に必要な最低単位は6単位)。

1978(昭和53)年度 〜 ゆとりと精選:

 理科T…4単位,理科U…2単位,物理,化学,生物,地学 4単位 のうち,理科T必修(卒業に必要な最低単位は4単位)。

1989(平成元)年度 〜 さらにゆとりと精選:

 総合理科…4単位,物理TA,物理TB,物理U,化学TA,化学TB,化学U,生物TA,生物TB,生物U,地学TA,地学TB,地学U 各科目TA,TB,Uそれぞれ242単位 のうち,総合理科,物理TA or 物理TB,化学TA or 化学TB,生物TA or 生物TB,地学TA or 地学TB5区分から2区分にわたって2科目必修(卒業に必要な最低単位は4単位)。

2003(平成15)年度 〜 厳選:

 理科基礎,理科総合A,理科総合B 2単位,物理T,物理U,化学T,化学U,生物T,生物U,地学T,地学U…各3単位 のうち,理科基礎,理科総合A,理科総合Bから少なくとも1科目を選択し,さらにそれら3科目の残りとTを付した科目から1科目選択により2科目必修(卒業に必要な最低単位は4単位)。

年間単位数は,上記の単位数×35週で与えられる。

物理・化学・生物・地学の全分野を含む総合的な新教科「理科T」の試みが実を結ばないまま,現行の13科目からの選択に移行した。こうした多すぎる選択科目は,センター試験での選択性と連動して少数科目化に拍車をかけ,大きな弊害をもたらす結果となった。「総合理科」と「TAを付した科目」は理科離れ対策の切り札として設置されたが,これらは,ほとんどの進学校では文系志望者にも履修されないなど,積極的役割を果たすことが出来なかった。その結果,いっそうの物理離れが進行し,例えば京都市周辺での調査では,物理TB,Uの履修率が12%という極端に低い数値(これは履修率1割台という最低ラインである)が出ている。

こうした状況の中,2003年度以降の新指導要領では,11科目からの選択に改訂された。実際,「理科基礎」や「理科総合A」,「理科総合B」では,物理・化学・生物・地学それぞれの括りをこえて,より幅広く各分野をカバーする工夫も見られるが,このいずれかを履修した上で「Tを付した科目」を履修させるという方式で,4分野の中のどれだけの内容を実際にカバーできるのかが問われる。

小学校や中学校の新指導要領において,教育内容が約3割減になったことに伴い,中学校で削減された学習指導内容のかなりの部分が,物理・化学・生物・地学の「Tを付した科目」に移行される。従来の中学生が履修していた理科の基礎的な学習内容の多くが,高校の選択科目である「Tを付した科目」に移行したことで,理科の基礎的な素養を身に付けないまま大学や社会に巣立つという,新たな問題が生じることになろう。

このような総合化・多様化・選択性拡大の一方で,理科の授業時間数は3割削減され,「テストの点数で測定できる学力」を低下させることになるが,その代わりに身に付けるはずである「新しい学力」は少しも見えてこない。日本では,「学力」の測定がフィードバックされて教育を改善するというシステムができていなかったために,「学力」で合意を得られたものがない。「測定できる学力」はどうなっていて,「測定できない学力」はいかに測定できるようにするかをもっと真剣に考えるべきである。「新しい学力」が「測定できない学力」であるとすると,たいへん困ったことになる。「学力」は測定できなければ意味がない。「学力」の測定が教育の改善にフィードバックされるシステムをつくって行くために,学会としてもっと働きかけていく必要があるのではないか。さらに,「大学入試制度」における少数科目主義や,高校でのゆとりある指導教員体制の弱体化などで,状況は一層悪化している。

最近,文部省も手直しを余儀なくされつつある

「指導要領,随時見直し。『学力低下』を懸念。」(朝日新聞,2000830日)の記事は,「新指導要領でほとんどの教科の学習内容が3割ほど削減されるが,それが子供たちの『学力低下』を招くという批判がある。文部省内にも『絶対正しい選択だったとは言い切れない』,『10年先まで改定しないという姿勢でいいのか』という意見があり,必要に応じて数年単位で内容を見直すという考えでまとまった」という内容。

「学力低下」が国民的な議論になっている。「後々に禍根を残さないように検証のスピードを速め,問題点があれば早めに手を加えるべきだ」と判断したという。「数年単位で教育課程を見直し教える内容を増やすことも視野に入れている。そこで,その基礎データを得るための全国規模の学力テストを随時実施する。情報,環境といった新しい分野についても,社会状況に応じて随時指導要領に組み込むようにしたい」とのこと。文部省は客観的なデータを持っていないために,2001年度より10万人規模の小中高生を対象とした本格的な調査に乗り出すことを決定している。さらに,学指導要領の性格そのものも変更し,大綱的で最低限のことしか書かないというようなものに,という批判が続出している。

小学校生活科の開始や新学力観(関心・意欲・態度)で何が起きたか,文部省も失敗を認め始めている

旧来の教育は知育偏重として,これを軽視してもたらされた学力低下を正当化する向きもある。「新学力」を標榜した結果「旧学力」が失われたが,その結果「新学力」は比較するものを失い,育っていない。その一方で,知育,知識の詰め込み,受験勉強,偏差値等を否定することの行き過ぎを「ゆとり教育亡国論」として,その軌道修正をはかる動きが文部省内部からも現れ始めた。新学習指導要領中止が,岩波書店「科学」(20005月号)の巻頭言で「2002年新学習指導要領の中止を」と呼びかけられたり,WWW上での運動としても行われるようになってきている。さらに,中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続を重視した入学者選抜の改善」や,国大協の第2常置委員会が「センター試験5教科7科目義務化」を提言するなど,軌道修正が開始された。ただし「振り子が片方の端からもう一方の端に振り切る」ような過去における「過度の反転」を繰り返す過ちをしないよう,警鐘が鳴らされている。

新教育職員免許法の教科軽視と教員養成学部・大学における学生の文系化の動き

 中学校の教員免許が極めてとりにくくなった。今後,教員養成系でない学部から中学校の教員になれないということが起こりうる。また,大学の教員が減らされる傾向にあり,教員養成系大学の定員規模が100人規模に減ってきている。そうするとますます教科科目から教職科目へ取得単位数がシフトし,今後,小学校教員を養成する体制で中学校の教員も養成せざるを得なくなる可能性がある。米国では,理学部の中に理系の教員を養成する仕組みを作っている大学が多いという。日本では,中・高校の理系の教員養成はどこが行うのか。先進諸国の多くでは,専任の教員がいて小学校56年生から理科をしっかりと教える仕組みを持っている。昨今の学級崩壊の原因として,理科をしっかり教えられないことも大きな要因としてあるかもしれない。知らないうちに,誰もが予想しない方向へ加速度的に進んでいく可能性がある。学会はこれらのことをしっかりと認識し,このような「縮小再生産」に対して歯止めをかける対策を講じる必要がある。

教員養成学部・大学の文系学部化の進行―小中学校教員の理科離れ

共通一次試験・センター試験が始まってから,高校で少数科目しか学習しない者がより高得点をとる傾向があり,そのことによる少数科目選択主義(入試用)により,教員養成学部の文系化が進行している。理科を2次試験に課す教員養成学部の減少(文部省の強い行政指導)により,「物理を未履修」,「物理で試験しない」が増加。後期試験では,「試験なし」や「面接・小論文」に限定されている。その結果,物理履修者,物理受験者が減少している。

入学定員5,000人削減で中学校教員養成課程がかなり消滅している。その結果,小学校課程の入試で入学した学生が中学校理科を選択するようになっている。教員養成課程がますます縮小される状況下で、小学校課程の理科や数学科のような括りが消滅し,中学理科選択者に対する科学教育の弱体化が危惧される。新免許法で教科科目の取得単位数が減少し,教員養成課程で理科の専門科目を教える時間が縮小される可能性がある。教員養成系以外の学部で理科の免許をとることが困難化(理科教育法8単位,看護体験,総合演習,教育実習増加などによる)し,教員も学生も無理が増大しつつある。30人以下の学級体制や小学校45年生ぐらいから理科専任制を導入し,小学校から中学・高校まで一貫した理科教育の再構築が必要。小学校でも高学年では,学級担任がすべてを抱え込むのでなく,専門性をいかせる教科担任制を導入する必要があるという声が聞かれるようになってきた。

(3) 学力低下問題をめぐって

「理工系学生,数学が苦手?」(朝日新聞,2000年8月10日)

理工系なのに中学レベルの小数計算も出来ない大学生がいる(西村・戸瀬教授,19994月,20004月に,国立大学13校,私立大学4校の理工系学部1年生4千人対象に,中学レベル7問題,高校12年レベル18問,計25問出題)。…どの大学でも中学校レベルの問題で満点取れない学生がおり,両教授は「技術立国を目指す日本の科学者,技術者の卵にしては悲惨な結果だ。このままでは日本の技術力は地に落ちる」と警告している。数学4科目すべてを受験した学生は,受験しなかった学生より平均点が高い傾向がある。中学レベルの7問が満点の比率は,国立最難関校−東84%,西68%,私立最難関校59%,地方生物系学部16%である。

文科系学生4人に1人中学レベル誤答,大学生に数学力低下深刻(日本経済新聞,2000年1月25日)

1999年に全国37大学の1年生約1万人を対象に大学入学資格検定試験問題から簡単な25問(25点満点)。数学を受験しないですむA大学は7.89点,国立トップ文系22点台,数学非受験者は1013点。

日本の子供の勉強時間は米国や韓国より少ない(総務庁青少年対策本部「子供と家族に関する国際比較調査」)

1994年,7歳から15歳の日本と米国と韓国の子供をもつ親を対象に,子供の学校以外での勉強時間を調査。「ほとんどしない」と「30分くらい」:日本41.7%,米国21.0%,韓国11.3%,「2時間くらい」と「3時間くらい」:日本23.1%,米国41.4%,韓国63.6%。文部省は学力低下を否定:「旧来の学力は低下する。大学進学率5割を超えて,現在大学生の学力低下やむなし。しかし,ゆとりの中で子供の学習意欲は向上している」というような,「大学と高校との接続学力低下なし論」がある。しかし,やはり学力低下の実証的なデータの方が,はるかに真実味をもっている。

反響

例えば,次のML上の感想(大学教員):「私は,『分数ができない大学生』,『小数ができない大学生』を読んで,日本の大学生の学力が中国や韓国の大学生よりもかなり劣るようになったことを知り,次いで玉川大学出版部から出ている数冊の翻訳本を読んだ。アメリカの教育界がかつて歩んだ道を日本の教育界が歩んでいると思う。」

河合塾「高校の学力低下を検証する」の調査

河合塾の1995年度の生徒と1999年度の生徒が受験した模擬試験結果(サクセスクリニック)の中から,共通する問題を抽出して,それらを比較検討したものである。数万人規模の高校生・浪人生が受験する全国規模の模擬試験結果をベースにして,上位,中上位,中位,下位の4グループを設定することにより,全国的な位置付けでの学力比較を行うことが可能になる。その結果,1995年度と1999年度との理科や数学の模擬試験結果(同一問題)を比較すると,1999年度の平均点が有意に下降したことがわかる。

(4) 少人数学級による丁寧な授業の必要性

 いまの日本には若い理科の先生がいない。この状況を放置したままでいいのか。丁寧な授業ができ,必要に応じて実験ができるクラスサイズは2030人である。小規模学級の効果に関する研究はアメリカではすでに100年に及ぶ。特にテネシー州のスタープロジェクトでは,対象校76331学級,対象生徒6,000人に及ぶ,学級規模と教育効果改善の研究が系統的に行われ,15人規模の学級の優位性が実証されている。このことを受けて1996年にはカリフォルニア州で89%の保護者の支持をもとに20人の学級規模政策が実施された。若い理科の教員を確保するためにはこのような政策の実施が必要である。

2.物理学者から見た物理教育 

佐藤文隆(京大院理)

今回の日本物理学会定款の改定では,学会がこれまで学術的研究発表の場であったことに加えて,物理学が社会に広まっていくこと,国際的な交流の推進もその目的に含めることになった。

すでに日本物理学会発行の「大学の物理教育」誌に「一石二鳥」と「二つの物理のはざまで」を投稿したが,学部生対象の講義を担当して思うのは,「自分でもおもしろく,学生もありがたがる」内容を講義するのが「一石二鳥」である。勉強は本来それ自体がおもしろいものであるにもかかわらず,「理科離れ」や「物理離れ」がいわれるのは,どうしてだろうか。物理学の素晴らしさは,そもそもそのproductivityがとても大きいことにあるが,その分母に対する個人のproductivityの比はあまりにも小さく達成感が少ない:

(おそらく人の感覚はこれにがつく)。物理学があまり「立派」だから敬遠されてしまうのではないかという人もいる。「物理学」という括り方を今後考えていくべきではないか。「二つの物理」にも書いたが,高校で言う「物理」と日本物理学会の「物理」とは違う。

(1) 教育における選別

私が担当している「解析力学」は理論物理学入門のようなもので,「難しい」,「分らない」とか,「ありのまま自然を見たい」というのであれば,理論物理を専攻するのはやめておいた方がいいと学生に言っている。また,いろいろな実験をしてみて自分がいかに実験に向いていないかを知ったという偉い教育学者もいる。つまり,いろいろなことに接させるということが教育の目的であり,そのことが,本人が進路を決めていくときに役立つし,自分の適性を知る上で参考になる。

(2)「二つの物理」とサービス講義

 アメリカでは物理学科の先生が理工系全体の「物理」を教えている(これをサービス講義という)。このことが大学で基礎物理をやっている人の存在意義であり,自分の研究とはあまり関係がない。日本では,自分の行っている研究を承認させることで大学での存在意義を得ているようなところがいまだにある。研究は本来好き勝手にやっているもので,それに対して大学はお金を払っている訳ではない。研究費はどこからかとってくるという時代になるだろう。自由な研究をしていれば月給をもらえるという幸せな時代は終わった。

アメリカの州立大学以下の大学では,物理学科を卒業した人が生きていく道は具体的にどんな姿であるのかを示すために,物理学科を出て大学以外で活躍している人に来てもらって(必ずしも自分の大学出身でない)連続セミナーを行っている。アメリカ物理学会がそれを手伝っている。日本物理学会も何か出来ることがあるのでは。

兼ねてから言っていることだが,新課程「情報」について調査して報告していただきたい。もっと「情報」が物理に深く関っていることを伝えていく必要がある。「物理」から「情報」に関っている部分が差し引かれてしまっている。世の中の学問は,


         物理系…「情報」はここに入る


○理工系    化学系


        機械系・その他 (地学はここに入る)

○生物系

○文 系

と分類されており,「情報」が物理系であることをもっと声を大にして言うべき。

(3) 博士号と中高教師

 大学院に進学する学生が増えており,博士号・修士号をもった人が働けるマーケットを開発しなければならない。行政に働きかけ,学位という資格をもった人を学校の教師にしていく制度をつくることが必要。小学校でも理科については専属の教師が教えるような制度が必要である。

(4)「嘘」対策

教科書にある「原子は電子が原子核のまわりを回っている」というのは嘘。基底は角運動量ゼロ。

小学校で水の沸騰の実験をすると,100℃で沸騰することは実際にはない。「本当は100℃で沸騰するのだ」と慌てて言い訳をして授業が終わる。そうすると子どもにとって「物理学とは言い訳をする学問である」と強く心に刻まれる。自然界には,まず理想的な状態というのはなく,理想的な実験をするのは大変である。そんな中で実験をするのだから,どうしても言い訳がましくなり,その印象が伝わってしまう。ありのままに現実を見ず理を貫く物理学精神である。

基本的に,知識がワーッと広がるときは楽しい。だから勉強は楽しい。子どもも同じで新しいことを学ぶことは楽しいはず。

孔子は今で言う受験塾の売れっ子講師だったらしい。なぜ彼が「売れっ子」だったのか。それは,礼(制度)を教えるのに暗記させないで,礼が存在する歴史的根拠とか理由を教えるのがうまかった。その結果,中身のある暗記の仕方が身につき,それが流行ったらしい。このことは,物理学者が世の中で活躍する人たちに対して何か出来ないかを考える観点を与えてくれると思う。

座長(後半):波田野 彰(帝京平成大情報)

3.物理教育に関するもう一つの提言

川村 清(慶応大理工)

 日本人は「1億総教育評論家」で,教育分野の分母は大きいと思う。

(1) 日本物理学会 物理教育委員会 および その周辺での活動

  1. 大学の物理教育(基礎教育および教養教育)に関する現状調査…現在,調査データの分析・データベース化が行われている。各大学のコンタクトパーソンと協力して今後調査が進んでいく予定。
  2. 「楽しい物理実験室」 (科学博物館)
  3. 「大学の物理教育」の編集・発刊
  4. JABEEへの参加…工学基礎教育に物理教育が関与している。
  5. 理数系学会教育問題連絡会…日本物理学会・応用物理学会・日本物理教育学会,日本数学会・日本応用数理学会・日本数学教育学会,日本化学会・日本化学会化学教育協議会,日本動物学会・日本植物学会からなる連絡会。

19944月「物理教育の再生を訴える」(日本物理学会・応用物理学会・日本物理教育学会)… 時間数・実験観察の環境・国民的素養としての科学教育・教員養成についての声明(文部省記者クラブに満員の記者の前で)

199512月「次期教育課程に関する要望」(上記3学会会長連名)… 国民の共通の素養としての科学教育・体験に基づいた探究心・個々の生徒の能力を発揮させる教育条件・小学校から大学教育までを見通した教育体系についての申し入れを,有馬中教審会長(当時)に対して行った。

1999312日「新教育課程に対する数学・物理・化学系諸学会の見解」

  1. 算数・数学,理科の時間の削減は遺憾である。
  2. 個性を生かす教育のため,規制の緩和を望む。
  3. 「総合的な学習」は科学的視点を取り入れるべきである。
  4. 教科書検定は最小限にとどめることを望む。
  5. 十分な自然科学の素養・専門知識を持つ教員の養成に力をいれるべきである。
  6. 生徒の個性に応じた教育を可能にするための教育環境の速やかな充実を望む。
  7. 大学等の高等教育機関においても新教育課程への対応を準備すべきである。

2000626日 物理学研究連絡委員会報告

「物理教育・理科教育の現状と提言」(日本学術会議)

1 現状

    1. 高校卒業生のあきらかな学力低下の現実
    2. 度重なる学習指導要領の改訂とその問題点
    3. 学習指導要領と大学教育のミスマッチ
    4. 教科書検定の問題点
    5. 大学入学試験による安易な解決の影響
    6. 大学基礎教育の弱体化
    7. 教育への国家投資の貧弱さ

2 提言

    1. 大学人・研究者も初等中等教育についての十分な認識を
    2. 教科書検定の拘束の緩和を
    3. 大学入試による影響力発動には高校の実情に十分な配慮を
    4. 初等中等教育の内容を十分に認識した上での高等教育を
    5. 大学の教育体制の整備を

(2) 教育に対する提言

学力とは何か?…学力の低下が言われるは今に始まったことではない。学力の内容は時代とともに移り変わっている。確かに従来どおりの測定可能な学力は低下しているかもしれないが,従来とは異なった学力も見るようにしてやることも必要ではないか。

学習指導要領に役割は何か?…学習指導要領の内容を「それ以外の内容を教えてはいけない」と捉えることが多いが,「日本人として最低限備えておかなければならないこと」として捉え直すべきである。

教科書検定は不要か?…「最低限のことが書いてあるか」という立場からの検定ならあってもよいのでは。

中等教育と大学教育のミスマッチをどう克服するか?…高校教育の現状を知った上で大学教育を行うことが大切で,大学人に課された問題である。

大学基礎教育をどう再強化するか?…「一般教育」,「教養教育」という言葉が死語にならないうちに。

教育への国家投資はどこまで必要か?…少人数学級実施へ向けて国家はもっと教育に投資すべきである。

(3) 物理学会に何ができるか?

 修士課程修了者のレベルをどこにおくか?…物理の修士を出たら最低これだけのことは出来るという最低ラインを考えてもらいたい。

博士・修士は何人出せるか?…文部省はたくさんの博士・修士を出すように言っているが,社会的要求と大学院の教育能力を考えた上で,果たして何人出せるかをestimateできないか。これからの博士・修士に何を求めるかも重要である。

科学成果の知識の普及…いざというときinternetで必要な情報が得られる。その一方で,internetでインチキな物理の知識が流されているという。信頼のおける情報の入手先を物理学会で選別してリンクし,システムをつくっていってはどうか。

「一般教育」物理の再構築…「一般教育」という言葉が死語にならないうちに行う必要がある。

最後に一言。最近の若い先生は,管理教育を受けて育ってきた人が多く,まじめすぎる。大学で学生相手に管理教育をしたがる。われわれが若いころは,もっとのんびりしていて,それが今「生きる力」になっているような気がする。以前は大学のまわりに喫茶店があって,行くとよく学部の学生がいた。つまり,高い目標を掲げながら,たまに骨休めをする「ゆとり」と,ただ教える内容を少なくして「ゆとり」といっているそれとは違うのではないか。

JABEEについて座長(波多野氏)からコメント:

JABEEJapan Accreditation Board for Engineering Education(日本技術者教育認定機構)は大まかに言えば,欧米の技術者教育認定制度を日本にも導入しようというもの。@日本物理学会の会員の多くが大学の工学基礎教育に関っておられること,A物理学科の卒業生が技術者にもなっている現状をふまえ,これをサポートする必要性があること,これらの理由から応用物理学会とともに日本物理学会もJABEEに参加している。

司会:波田野 彰(帝京平成大),川勝 博(香川大)

波田野:今回のシンポジウムは日本物理学会の定款改定を受けて行うことになった。あらためて定款の第2条を見ると

旧:本会は,物理学とその応用に関して,

  1. 会員の研究報告を内外に発表すること
  2. 会員が一様に得られる研究上の便宜を図ることを目的とする。

新:本会は,物理学とその応用に関して,国の内外において研究および教育の振興を図り,もって科学の進歩と文化の向上に寄与することを目的とする。

とある。これまで消極的だった教育問題に対して,学会として発言し,責任を持っていこうという姿勢があらわれている。今回ご講演いただいた3名の先生をパネラーとして,公演内容を中心に総合討論をすすめていきたい。

佐藤:学会の活動は研究の発表や交流が中心だったが,物理学者が携わっている大学の教育も重要であり,学会のfunctionに教育が付け加わったと解釈して定款の改定を積極的に考えてもらいたい。

小林:大学の「多様化」が進み,教えようと思っても物理を教える相手がいなくなっているという状況が起こりかねない。高校でも「多様化」が進んでいて,物理を教えようとしても相手がいない,物理を教える若い教師がいないという状況になってきている。物理を教える相手が確実にいるところは中学校である。いまその中学校,さらには小学校が「細っている」。つまり科学教育を行えなくなっている。やはり,まず大学で行っている物理が魅力のある面白い充実したものになっていくことで,それを目指して高校でしっかりと魅力ある物理を教育し,そして小学校56年生から中学校にかけては物理のminimum essenceを教えているといった具合に,小学校から高校・大学まで体系的に物理の教育が行われなければならない。つまり大学で行われている物理の教育が,波及的に高校・中学・小学校まで広がっていくようになればいいのではないかと思う。

原:@高校物理は「国際語」であるべき。日本の物理教育の見直しにつながる環境が必要。まずその第1段階として「物理オリンピック」に参加してみれば,日本の物理教育がいかにおかしいかがわかるはずだ。日本が「物理オリンピック」に参加できるような道筋を日本物理学会がつくっていくことが重要である。A物理教育の見直しが必要。研究後継者育成だけでなく,教員やエンジニアになっても十分やっていけるような物理教育にするために日本物理学会が協力していくべきである。BITにより全国の大学・高校の教育内容を公開するのを日本物理学会が手伝う必要がある。C大学入試の問題は深刻である。難しい入試問題が高校教育に与えるダメージは大きい。

佐藤:「物理オリンピック」はいろんな考え方があると思う。学力は(スポーツの)オリンピックといっしょで,上位の方はそのときの順番で測れる。上位に順位をつけることは励みになるので,「物理オリンピック」参加には私は積極的だ。日本物理学会で出来ないか理事会で提起したこともある。そのとき数学(オリンピック)のほうに問い合わせてもらったら,派遣とかにお金がかかるので無理だとわかった。180°反対の意見もあると思うが,私も「物理オリンピック」はあったほうがいいと思う。また,高校の教科書では気象は地学になっている(かつて東大では気象は物理に入っていた)が,基礎物理や教育と絡んでおもしろいテーマがたくさんあり,いま地球関係の人に声かけて動き出している。学術会議に出てみると,教育の問題は理学系全体では「環境と教育」というテーマで流れている。物理とのかかわりは,一つは「ハイテク」でもう一つは「環境」である。そういった意味で何か作りたいと思っている。

霜田:東大では地球物理学科が出来るまでは気象関係は物理に入っていたし,高等学校でもそうだった。気象が物理から分かれたというのも,分母を小さくするという動きの一つでこの傾向は変わらないのではないか。これからは「総合化」のなかで横断的・縦断的な物理(例えば複雑系など)が出来てくる。そしてそのための教育体系が出来てくることが必要ではないか。

高橋:高校で物理は理科の中にひと括りになっている。社会科が「地理・歴史」と「公民」に分けたことで,世界史が必修になったり,調査官が増えるなど文部省の中も変わっている。このような方向での物理学会としての取組みも必要ではないか。

江尻:物理学会は高校・中学校・小学校の理科教育に目を向けて行かなければいけないという議論の向きだったと思ったが,小林先生の先ほどのコメントでは,まず大学がきちんとした教育をして,そうすれば順に高校・中学校・小学校も教育がよくなってくるということだったように思う。どう考えたらいいのか。

小林:先日,ASPENというアジアの物理教育ネットワークの集まりが韓国であり,参加してきた。その中でワークショップがあり,アメリカの講師の指導のもと私もニュートンの3法則を扱った物理教育の授業実践を行った。センサーを使って働いている力をディスプレイに表示し,瞬時に加速度を示すことが出来る装置を実際に使ってみた。このような装置は大学だからできることで,アメリカではいろんな大学できちっとやってこのようなシステムを作り,これまで3割しか理解できなかった力学教育を8割にまで到達させたという。日本の大学でもこのような取組みを行えば,高校でももっといい工夫を行うようになるのではないか,そうするともっと余裕のある中学校でもそれが行われればと思って言ったこと。大学でびっくりするような内容のものをつくっていけば,高校・中学校にインパクトを与えることが出来,それを中学校・小学校にまでもっていくことが出来るのではないかと考えている。

浦上:「教育の結果をフィードバックしなければならない」という話を伺って,フィードバックするときに文部省にフィードバックするとか,学術会議にフィードバックするとか,うまく効率よくそれをしなければならない。また,学会員や一般市民からの意見の蓄積ができるような体制が必要である。

勝木:アメリカの教育の中では科学者・技術者の倫理問題がはっきりと扱われているが,われわれはあまりそれを知らない。物理学会として科学者の倫理の問題を認識するよう掲げてほしい。また,学力の変化のデータで河合塾のものを引用されていたが,日本には調べる気になればデータが大学入試センターにある。そういうものを利用して実態を実証的に明らかにすることが必要だ。

霜田:JABEEは文部省とは無関係で,engineering educationのカリキュラムを工学系学会の連合でつくり,審査も行うというもの。学習指導要領や大学設置委員会で決められたものではなく,学会のactivityで行う点が異なる。日本物理学会もscience educationに対して取組みを発動するときの一つの見本になるという意味で注目すべきであろう。

波田野:倫理問題は当然われわれの調査・議論の対象になっている。また,覧具先生に調べて頂いたが,JABEE以外にイギリスの例ではPhysics Degreeというのもある。これは,イギリスの物理学会が「何がわかっていなければならないか」のstandardを示し,これを認定しようというもの。

○:理科の授業時間が減っていくことで,高校生に力学・熱・電磁気学などを教えるのが不可能になっていく危険性はあるのか。

小林:高校に関して「パリティ」に書かれているが,京都の周辺の高等学校では12%程度しか物理TB・物理Uをとっていない。選択性になれば,選択する気になれば選択するが,物理を専攻する人以外は物理を選択しないということが起こりうる。例えば,小学校56年生から高校1年生までは全員が自然科学の基本的なことを履修する,その上でいろんな選択をしていくという方法をとれば,物理が10%を切るようなことは起こらないのではないかと思う。

覧具:川村先生が紹介された626日の物研連報告「物理教育・理科教育の現状と提言」の内容は日本物理学会誌(200011月号)に掲載される。その中でもふれているが,学習指導要領でカバーすべきものが,「厳選」という名のもとに大変減っている。減っているだけでも問題だが,例えば「直流と交流」や「比熱」といった物理に進む人でなくても国民なら皆が知っていなければならない事柄が,中学校の時間数が減ったということで高校で教えるようになっている。中学の教科書までに入っていれば全員が学習できるが,高校の教科書に内容を移した途端に,物理を選択する生徒が10%くらいに減少してしまう状況では,従来全員が学習してきていた項目を大半の生徒が知らないまま高校を卒業することになる。

鈴木:現行の標準履修単位が「物理TB」(4)+「物理U」(2)合計6であり,新課程では「物理T」(3)+「物理U」(3)合計6で単位数からみると変わっていないが,中学で基礎的事項を履修しないまま高校に来ると,むしろ内容は増えているのではというのが現場の実感。また,新課程では「理科基礎」,「理科総合A」,「理科総合B」から1つ必修になっており,現行の課程でもそうだが,「物理」を始めるのは高校2年生からだろう。そうすると「物理T」の標準履修単位3が確保できそうになく,「物理T」を単位2で行う学校がかなり出てくる可能性がある。高校物理はかなり窮屈になり,十分な教育ができないのでは。一部の進学校では,受験のために必要な物理だけを取らせて,化学を捨てさせるところも出てくるのではないか。そうすると化学を知らない大学生が生まれることになる。

川勝:学会の役割は2つあり,1つはいい討論会を組織すること,もう1つはいい会誌・雑誌を出すことだという。教育の立場でいえば,討論会は今回のようなシンポジウムならびに総合討論が該当するだろう。ところが,この分科では一般講演が発表されたあと,どこかに論文として載ることも余りなく,言いっ放しで記録に残らない。教育研究が研究に値するとするならば,発表内容を投稿する雑誌の枠組みをつくることを検討する必要がある。

江尻:もっと会誌で教育問題を取り上げる必要がある。

川村:物理教育をしている人と一般の研究発表をしている人との交流がもっと行われるべきである。

波田野:今回のシンポジウムの企画は,日本物理学会が社会に対して貢献をするという立場で,教育問題を取り上げる第一歩を踏み出したといえる。今の時期は,後世から見て教育の激変期として残るのではないかと思う。今後,学会として教育分野でより積極的に発言できる場をつくっていきたい。

※報告者後記:

今回の物理教育シンポジウムを受けて,200132730日に中央大学多摩校舎で開催される日本物理学会第56回年次大会では,330日午前中に招待講演「21世紀に必要とされる人材を育成するための提言」を,同日午後に物理教育シンポジウム「大学基礎物理と高校物理との接続を考える―大学側と高校側からの提言―」を,いずれも日本物理教育学会との共催で予定しています。