この「方則」には実のところ、なんの根拠も無い。いわば、人間の信念みたいなものだ。ちょっと前までは人間は全然別のことを信じていて、いつ花が咲くか、とか、明日は雨か、などということは神様とか、悪魔とか、魔女とか、そういう人知を越えた何ものかが決めているのだと、思っていた。それが今のように何ごとも「科学的に」決まっていると思い出してからほんの数百年しか経っていない。
どうして、そんな風に考え方が変わったのかと考えてみると、要するに、「神様が雨を降らした」と思うより「低気圧のせいだ」と思う方がもっともらしい、と思えるようになったからだ。神様は目に見えないが、低気圧なら目に見えないまでも、存在を確認できる。あるかないか解らないものより、あることが解っているものが原因の方が納得できる。で、みな、「起きたことには必ず原因がある」と信じている。
この「方則」にはたった一つだけ困ったことがある。それは「人間の自由意志」の問題だ。朝起きて何を飲むか、自分で決めている、とみな感じているだろう。ところが、この「方則」によると、人間の頭脳だってこの「方則」に従って動いている一種の機械には違いないから、朝何を飲むかはずっと前から決まっていたことになりかねない。ちょうど、コンピューターがプログラムされた以上のことは出来ないように。科学的であろうとすると、自分の自由意志を否定することになりかねない。この「矛盾」は今の科学の喉に刺さった一本の刺なのだ。