この世はいろいろな音に満ちている。早朝の鳥の鳴き声、朝の電車の音、街の 喧騒、などなど、朝目覚めてから眠りにつくまでの間、我々は常に、意識する としないとに関わらず、何らかの「音」を耳にしている。音、とはつまり空気 の振動に他なら無い。空気が細かく振動するとき、我々の耳はそれを「音」と して認識する。
音が伝わるのは何も空気だけとは限らない。細かく振動することが出来るもの ならなんでも音を伝えることが出来る。例えば、誰もが一度は遊んだことがあ る糸電話は、人間が出した「声」という音を、「糸」の振動として伝えて、再 び空気の振動に戻してから人間の耳に伝えるための道具である。水もまた、振 動することができるので音を伝えることが出来る。もちろん、音は水や空気の ような形のないものばかりでなく、鉄の様な硬いものの中も伝わることが出来 る。長い鉄のパイプなどに耳をつけて反対側を叩いてもらうと、はっきりと音 を聴くことができるが、これは鉄の中を音が伝わって来るからだ。
正直言って、地震、というのは「音」なのである。地震とは大地の中を伝わる 振動に他なら無いが、これは鉄パイプの中を伝わる音となんら選ぶところがな い。「でも、地震は耳に聞こえないよ」と思うかも知れないが、これは単に地 震の振動のようなゆっくりとした振動を我々の耳がとらえることが出来ないか らだ。人間に聞こえないから音じゃない、なんていうのはごう慢するすぎる。 実際、動物たちの中には人間には聞こえない「超音波」という速い振動を聴く ことができるものがいる。超音波はそういう動物にとっては音だろう。なら、 地震もまた、音なのである。
物が振動していればことごとく「音」だというならば、人間に聞こえるか聞こ えないかに関わらず、そこらじゅう音だらけ、ということになるだろう。それ ほど多くの音は最終的にはどこにいってしまうのだろうか?振動である音、は、 最後は空気や水や鉄パイプや地面や、とにかく音を伝える役目を担っている 「何か」に吸収されてしまう。そして、その代わり、ほんのちょっとだけだけ れど、その「何か」は暖かくなる。もっとも、その温度の上昇はほとんど測定 できない程わずかだ。
みんなが美しい声で歌を歌うとき、その声はどこか遠くの方で「何か」をちょっ とだけ暖めている。その歌にうっとりと聴き惚れている人のハートは別にして。