あとがき

「物理の散歩道」という名著がある。それを読んだことがおありになる方は、ちょっと雰囲気が似ているな、と思われたかも知れない。流れ落ちる、吹き飛ばされる、などという目次の組み方は良く似ている。粉粒体の話題も「物理の散歩道」には散見される。別に意識してその様にしたわけではないけど。この一致は偶然ではないかも知れない。

「日常生活の中に新しい物理の萌芽がある」と最初(かどうか知らないが)に指摘したのは寺田寅彦だった。寺田寅彦が夢想しかできなかったものを「物理の散歩道」の著者(達)であるロゲルギストは談論風発ふうに楽しんだ。寺田の時代には大家の晩年の独白、ロゲルギストの時代には功成り名遂げた人々の道楽としてしか存在できなかった話題を、僕は自分達の世代の本業の研究の紹介として書くことができるようになった。寺田の夢想から六十年、ロゲルギストの誕生から三十年、物理は確実に進歩している。今から三十年後には、僕が個人的な予想としてしか書けなかったことがきっと科学的に証明されていると思う。(例えば、シマウマの縞と、風紋の縞の関係とか。実際、現象論的な記述で、経済や生物の理解が進み始めている。)

その一方で、僕が触れることができたのは寺田やロゲルギストが興味を持った幅広い話題の中で粉粒体の話しだけだ。寺田は「日常生活の中の物理」全てを話題にしても数編の随筆しか書けなかったが、ロゲルギストは数冊の本を編んだ。今の時代は粉粒体の話しだけで、一冊の本が書ける。寺田やロゲルギストが興味を持った他の話題、結晶成長や亀裂の形にも僕は興味があるし、関連した論文も多少は書いてはいる。しかし、もはや、僕はそれについて本を書くような専門の物理学者ではない。分野の専門化は確実に進んでいるかも知れない。ひょっとしたら、この様な話題についてこんな感じで本を書くことが許される最後の世代に我々は属しているかも知れない。ちょっと、さびしい気もする。

聞くところによると世の中の人は理科が、特に物理が嫌いになってしまったらしい。実際、センター試験で試験監督などをやっていると物理を選択する人は十分の一位のようである。僕は一応、物理学者の端くれということになっているのでこれはちょっとさびしい。勿論、物理が全ての科学の基礎である、とかいうのは大ウソだから、やる人が減っても別にどうということはないけれど、物理のおもしろさ、みたいなことを味わえる人が少なくなるのはちょっと悲しい。そういう気持ちを込めてこの本を書いた。

ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て重力の存在に気付き、星の運動を説明できる力学理論を考え出した、というのは嘘臭いが、これは物理の面白さの一面を良くいい当てていると思う。つまり、リンゴと月が同じ法則に支配されていることに気付くという面白さが物理の面白さなのだと思う。

粉粒体は宇宙の始源に思いを馳せるロマンもないし、はやりのフラクタルやカオスのような哲学的な深遠さもない。でも、砂時計が満員電車だったり、砂の流れが渋滞だったり、砂山が「過加熱固体」だったりするといのは全く違うように見えるものが実は良く似ているということに気付くという物理の本当の意味での面白さをよく味あわせてくれるのではないだろうか。

哲学者カントは、「物自体」という概念を考え出した。たとえば、リンゴという「物」の性質をいろいろ研究することはできる。色が赤い、とか、重力に引かれて落ちる、とか。でも、いくら描写を積み重ねてもしょせん、「リンゴ」という「物自体」には到達できない、というようなことである(と、僕は思う)。だから、物理学は無駄なんだ、とまでいったかどうかは知らないけど、これは物理をやっている人間にはちょっと悲しい。でも、逆にいえば、「物自体」からはぎとった属性は「物自体」からは独立なわけで、この属性は別のものにも存在している。(例えば、赤色というリンゴの属性はイチゴにも、トマトにあるわけだから「赤」という属性は物からは独立だ)この「物自体」からはぎとった「属性」自体を研究していくのがこれからの物理のあるべき姿ではないかと思う。その意味では、粉粒体のある属性と他のある物の属性が一致するということを見つけていくのは物理の本当の面白さを伝えることになるのだと信じたい。その属性自身の研究はまだまだ始まったばかりである。そして、この「属性」そのものの研究の体系化こそ寺田が望み、ロゲルギストが試みてなしえなかった夢の実現そのものであると思う。

中公新書の佐々木久夫氏には、著者の初めての本ということでいろいろお心使い頂いたことと思う。ここに感謝したいと思います。また、本書の元となった岩波の「科学」に掲載された解説(一九九四年、八月号)を担当して下さった、「科学」編集部の千葉克彦氏にも改めて感謝します。

僕が粉粒体の研究を遂行するに当たり、いろいろとお世話になった方は数多い。とても、ここに書き切れるものではない。中でも、本書の図版の提供者となって頂いた方々には、いつもお世話になりっぱなしである(一部の方々には、本稿を通読しても頂きました)。改めてここに感謝したいと思います。

その他、各種の雑誌に粉粒体の解説/プロシーディングスを書かせて下さった方々(日本物理学会誌:松下貢氏、固体物理:西田信彦氏、JJAP:永田一清氏、「物性研究」編集委員諸氏、IJMP/B:大野克嗣氏、粉体工学会誌編集委員会の方々)、にも感謝したい。この著書はいわば、バラバラに執筆されたそれらの解説のまとめのようなものであるから。

その他、研究上の議論をして頂いた多くの方々、例えば、粉体工学会の方々(九州工業大学の湯晋一氏、同志社大の日高重助氏)、彼らが読むことはあり得ないと思うのでいちいち名前はあげないけれど、欧米の優秀な粉粒体の研究者の皆さん、粉粒体の原著論文を僕と一緒に書いた唯一の人物東北大の高安秀樹氏、そして、粉粒体研究グループの仲間だった佐々真一(東大)、早川尚男(東北大)、西森拓(茨城大)の諸氏、本当にありがとうございました。

最後に、僕をここまで育ててくれた両親と、いつも僕を支えてくれた愛する妻(彼女も、物理ではないけれども研究者です)に感謝します。

全体の原稿はLinux+JE上のascii-PTeXを使って書き(縦書き)、DOS/V上のdviprtで印刷させて頂きました。本文中の図の一部はtgif+を使って描きました。(そのまま版型にしたわけではありませんが)これらを作られた方々関係各位に感謝したいと思います。この様なソフトが自由に使用できることが許されるのも、計算機の普及の力です。計算機はやっぱり偉大だ!(詳しくは第六章参照)

一九九四年十二月----------------- 銀杏の色づく窓辺にて