生物の新しい見方
――生命プログラムのハッカーたち――


words : 田口善弘 Yoshihiro Taguchi

生命の複雑さは遺伝子理論以外で説明が可能だろうか ?! 物理学者たちによる生命プログラムのハッキングは, 新たなる生命の見方を提供する。タブーを破り, 遺伝子なき遺伝の可能性を探る。

バクテリア・コロニー

『生命とは何か』。量子力学の創設者の一人であり, 基礎方程式にその名を残しているシュレディンガーがこんな一冊の本を書いている。当時, 物理法則を極め, この世の物質を支配する法則を知り尽くしたと自他ともに認める大物理学者をして, まだ理解できたと思えなかったと言わしめたほどの難題が「生命」だった。その後, 物理学者たちはワトソン・クリックのDNAの発見, という形で, 生命現象の理解に大きく貢献するが, 一方で生命=DNAという捉え方が主流になると彼らは, 次第に興味を失っていく。DNAを調べ尽くせばいいのなら, それは博物学であり, 物事の法則性に興味をもつ物理学者たちの興味とは相容れないものだったからだ。
 ワトソン・クリックの研究から40年あまり経った今になって, 物理学者たちは再び生物学に興味をもち始めた。生命をDNAという観点から捉えるのではなく, 細胞の集合として, あるいは, 個体の集合である「群れ」として捉えるやり方である。それはちょうど, 素粒子を司る基本法則が完全に解明されていなくても原子の集合として固体の理論を構築できるのと同じやり方である。この世の物質はすべからく原子でできているが, 我々がそれを意識することはまれである。それは, 現実の物質がもっているいろいろな性質, 固さ, 重さ, 色, などが個々の原子の性質そのものではなく, 原子がたくさん集合したときに出現した性質であるためだ。「赤い」物質を構成している原子が赤いわけではなく, たくさん集合することにより「赤い」という属性が現われる。それゆえ, 我々は個々の原子を意識する代わりに「赤い」という属性を意識する。それと同じように我々が生物を見るとき, 無数の細胞の集合である生物を, 個々の細胞の属性ではなく細胞の集合体として見ることができる。これは原子の集合として固体を研究するという手法を, 生物にも当てはめることに外ならない。そのような従来とは別な見方をすると, いったい何が見えてくるだろうか ?

偏見への挑戦

 松下貢(ルビ:みつぐ)が恒温槽の中で培養している細菌は極めてありふれた細菌だ。実際, 松下が培養しているそのバクテリアは, わざわざ培養しなくてもその辺の土壌にいくらでも含まれている。だが, 松下が興味をもっているのはバクテリアそのものの性質ではない。「バクテリアがたくさん集まったとき, どういう振る舞いをするか」という問題である。この問題は一見, 単純そうに見える。バクテリアは単細胞生物にすぎない。栄養があれば分裂し, 鞭毛でわずかに動き回って餌を捜すことができる。これらがたくさん集まっても何も新しいことは起きないのではないか。松下と研究員たちがとっている培養の方法は極めて古典的だ。コッホが開発した寒天培地上の培養である。寒天を水に溶かしてわずかに栄養を混ぜて煮込み, 固まったら培地の上にバクテリアをつける。寒天の上ではバクテリアはほとんど動けないから, ひたすら細胞分裂をすることにより増えていく。何も変わったことはない。
 松下がこの研究を始めたきっかけは, DLAと呼ばれる雪のような結晶や雷の形を再現するモデルの研究だった。今は中央大学理工学部物理学科で教授を務める松下が, 30代の研究盛りにさしかかったときに物理学に残されていたのはすでに“落ち穂拾い”と呼ばれる研究だけだった。量子力学や相対性理論に興奮した時代はすでに記憶の彼方にあった。そして, その後をついで物理学の屋台骨を担ったのは, 半導体理論のような固体物理学であり, それもすでに基礎研究の時代から, 電子回路や計算機のような応用の時代へと舞台を移しつつあった。“落ち穂拾い”に飽き足らなかった松下が40代にさしかかり, DLA【*1】という新しい物理学に踏み込んだとき, 彼が超えなければならなかった困難のおよそ半分は偏見だった。雷や雪の結晶の「形の研究」など物理ではない, いや, 科学ですらないという風潮があったのだ。

  遺伝子なき「進化」

 DLAは最初, 計算機上の純粋かつ理論的なモデルとして提案され, それが現実の系にそのまま当てはまるものではないと誰もが思っていた。実際, DLAは現実を再現するモデルとしてはあまりにも単純だった。
 まず, 計算機の中に大きな空の箱を準備する。箱の中心に「種」(雪の結晶に例えるのなら, でき始めの小さな氷の結晶)を置く。箱の壁からこの「種」に向けて粒子が放たれるが, まっすぐ種粒子に向かって進むわけではない。あるときは右に, あるときは左に, また極端なときは後ろに戻ったり, よろめきながら種に向かって進んでいく。そして壁から放たれた粒子がたまたま種粒子に接触したとき, それらが一体となり, 再び新たな粒子が壁から放たれて箱の中央の粒子の集合体に一体化するまで運動し続ける。この操作を何度も辛抱強く続けるとDLAと呼ばれる「形」が作り出される。
 実験家だった松下はその理論のモデルを論文で読んで知っていたが, 特に注目していたわけではない。「ある日, 子供を連れてデパートへ行ったとき, たまたま行なわれていた子供向けの化学入門展示でのデモストレーションを見て, 突然ひらめいたんだ」と, 松下はひょんなことからヒントを得た自分の実験成功を述懐する。この実験により, マンデルブロによって提案されたフラクタルという形を研究するための新しい概念を一気に物理と結びつけることになり, 物理学者たちは雪崩をうって「形」の研究を始めたのだ。雪の形, 割れ目の形, 雷の形。だが, その研究も嵐のようなブームが過ぎると鎮静化した。そのとき松下はすでに培地上のバクテリアコロニーの「形」の実験を始めていた。
「結晶の成長や, 雷の形と, 培地上のバクテリアコロニーの成長は一見, 全然違うものに見えたが, 数学的なモデルで考えた場合には, 共通性をもつ可能性があった」と松下は言う。確かに, 彼の実験は, 雷の形や雪の結晶をバクテリアコロニーに描かせることに成功した。だが, 雷や雪の結晶のモデルではうまく説明できないところが少しだけあった。松下はそこに注目した。「最初は, バクテリアコロニーの形が結晶成長や雷と同じ法則で支配されていることが面白かった。だが, よく調べると, どうしてもそういうアナロジーでは説明できないことがでてきた」。
 松下は顕微鏡を持ち出すようになった。ほとんど動いていないと思っていたバクテリアが, 動いていたのだ。それも, 結晶成長や雷のモデルでは再現できない特徴をもった部分ほどバクテリアが動いている。「バクテリアは決してランダムに動いているのではない。お互いに協調して動き合っている」。これはいささか驚きだった。培地上でただ増殖していくだけのバクテリアが, お互いを感じて協調的に動いているというのは。「我々は単細胞生物から多細胞生物への進化が起きたときに生じたことを目撃しつつあるのかも知れない」と松下は言う。彼の最近の実験では, バクテリアコロニーは同心円や渦巻を描くようになった。「条件を変えると, バクテリアコロニーはさまざまな形を作り出す。今のところ, それが何の役に立つのかは分らないが……」。もし, 何らかの役に立つのであれば, これは立派な「多細胞生物」の誕生だ。一個一個のバクテリアの遺伝子は渦巻を作るときも, 普通に増殖するときも変わらない。遺伝子が同じでも, 全体としてみたときの行動はまったく変わってしまう。遺伝子の進化なしに機能的な「進化」が起こり得ることを松下らの実験は示しているのではないか ? つまり, 本来は単細胞生物としてデザインされた遺伝子しかもっていないはずのバクテリアが集団行動をとることで, その単細胞生物用の遺伝子を保持したまま仮想的な多細胞生物としての機能を保持するように「進化」するのではないか ? もちろん, 「多数集まったときの行動も全て遺伝子に書き込まれている」という見方も否定することはできない。だが, 単純な要素(単細胞のバクテリア)がたくさん集まったときの挙動まで本当に遺伝子に明示的に書き込まれているだろうか ?

再現される「群れ」の運動

 かつて, 松下が助手を務めていた東北大電気通信研究所の研究室の現助教授, 佐野雅己は, 松下が助手をしていた当時は大学院生だったが, 飛び抜けて優秀だった。理論家としても優秀だった佐野は, 結局, 実験家の道を選び, 現在は松下が興味をもつのと同じような現象, たとえば亀裂の形などを研究している。彼が行なった亀裂の生成の実験の論文は厳しい審査を潜り抜けて, 世界的な科学啓蒙雑誌『Nature』に掲載された。東北大全体でもこの10年に『Nature』に論文を掲載することができた者は10数名しかいない。実験家ではあるが理論にも詳しい佐野が, 最近興味をもっているのは「群れ」の運動だ。鳥や蚊のような生物は群を成して飛ぶ。ある種の魚もまた, 大きな群を作って泳ぐ。その動きはいかにも生物らしい動きに見える。だが, 佐野の意見はちょっと違う。「適当な数値モデルを作ると, これらの動きはほとんど再現できる」と佐野は言う。佐野の作り出したモデルには生物らしいところはない。前方への推進力をもち, 周囲の個体の運動方向に影響されて自ら方向を変える相互作用をもつ。基本的にはこれだけしかプログラムされていない。それは, 物理学者が固体や液体の性質を多数の原子の集合として理解しようとしたときに作ったモデルと寸分変わらない。実際にモデルを記したプログラムだけを見たら, 誰もこれが魚や鳥の「群れ」の運動のモデルとは思わないだろう。「推進力の強さや, 相互作用の強さを変えると, 蚊柱や周回運動をさせることができる」のだ。では, 群れを成して運動するときの鳥や魚は自らは何も考えていないのだろうか ? 遺伝子に書き込まれた非常にわずかな情報, 「前に進め」「隣に合わせて飛べ」などという情報だけで, あのような複雑な運動が可能なのだろうか ? 佐野の学生の一人はこの規則に従って動くロボットを作った。わずか数体しかできていないが, その動きはいかにも「生物」のように見える。「個々の“要素”(細胞)に書き込まれた規則は単純であっても, 多くが集まると予想外の複雑な動きが見られるのは間違いない。一つひとつの“要素”が, 全体の動きを把握している必要はない」という仮説が成立し得るのではないか ? 遺伝子(個体の運動規則)を理解しても全体の運動を理解することはできないし, 個体が多数集まったときの運動が遺伝子に書き込まれている必要はない。遺伝子が個体の運動規則にとって全てを司るとはいえないのだ。これは“要素”の集合である一般の生物にも当てはまることではないか ? 細胞を司る遺伝子を理解しても生物は理解できない。実際, 松下らの実験に刺激されたイスラエルのある実験グループは, 似たような実験を行ない, その運動を佐野が「群れ」を記述するのに用いたような数理モデルで説明して見せた。個体の集合である「群れ」の運動と, バクテリアの集合であるコロニーの運動は同じような規則に支配されているわけだ。単純なものが多数集まることにより, 生物らしい複雑さを生み出す。“要素”を司る遺伝子には単純な規則だけが書かれていればいいから, 遺伝子を理解することは必ずしも生物の複雑さを理解する助けにはならないのではないか ?
 しかしこのような見方は, まだ異端だ。松下は言う。「バクテリアコロニーがいろいろな形を作り出すことには生物学者たちも気づいていた。あるところで, コロニーがいろいろな形を作ることを話したら, 大学病院の技官が興味をもった。彼もそれに気づいていたんだ。しかし, 喜んで大学にもどって教授に報告した彼は, ただ一言, こう言われた。『くだらないことを考えるな』。彼の仕事はバクテリアをいかにうまく培養するかということで, コロニーの形なんてどうでもいいというわけだ」。
 生物学者たちは今のところ, 遺伝子の呪縛から自由になれないでいる。「彼らに興味があるのは, コロニーの形によって遺伝子が違うかどうかということだけ」だが, それでも, 国際生物学会に「コロニー」という分科ができ, 松下はそこに招かれた。「僕は学会に参加したただ一人の物理学者として紹介された」と松下は言う。だが, 状況は変わりつつある。生物にとってそのプログラムを形作るものは, 遺伝子だけが全てではないのだ。

遺伝子なき「遺伝」

  松下らの実験は決して高度な技術を必要とするものではない。基本的な部分は前世紀から知られていた。佐野の数値モデルのシミュレーションは, かなりの計算機性能を要求されるが, 10数年前の計算機の性能で実行できないようなヘビーな計算ではなかった。どうして今, このような研究が相次いで現われ始めたのか ? カオス, フラクタルという新しい概念が物理学に入ってくるまで, 物理学とは“きれいな”学問であった。結晶のきれいな対称性, ただ一本の数式で世界の原理を書き下す完璧さ。そういうものこそが物理学の対象であり, いくら美しくても雪の結晶や植物の花の類は物理の対象物とはみなされなかった。それは, あるときは「複雑すぎて現在の物理学のレベルでは研究できない」と退けられ, またあるときは「基礎的な原理式は分かっているのだから後はそれをどう解くかという“二流”にしか過ぎない問題だ」と蔑まれた。だが, カオスやフラクタルという概念が物理学に導入されるにつれて, 物理学者たちは複雑なものを作り出すのに複雑な規則は必ずしも必要ではないことに気づき始めたのだ。フラクタルやカオスを作り出す数式や計算機モデルのアルゴリズムは拍子抜けするほど単純だ。もはや「複雑だから」という言い訳は通用しなくなった。物理学者たち(少なくともラジカルな物理学者)は結果の複雑さや分かりにくさに躊躇することはなくなった。そして, 一見単純そうだが複雑さを生み出し得るポテンシャリティを内包した“要素”(単細胞生物のような)の集団行動を研究し始めたとき, 「複雑で理解できない」と思っていた多くの挙動(単細胞生物から多細胞生物への進化や, 生物の群れ行動)がいとも簡単に再現できることに気づき始めたのだ。10数年前にも佐野が作った「群れ」の数値モデルは計算できただろう。だが, たとえ, 誰かがそれを提案したとしても当時は現実の「群れ」運動との一致は, 単なる偶然か悪い冗談としか捉えられなかっただろう。生物はもっと複雑であるはずであり, そんな単純なモデルで運動を再現できるわけはない, と。今の物理学者はそうは思わない。結果が複雑だから原因も複雑とは限らないと知っているからだ。確かに, 生物, そしてその生物の遺伝子は, 複雑きわまりない。しかし, だからといって遺伝子レベルの複雑さと総体としての生物の複雑さを同一視するのは短絡的すぎる。「複雑な」遺伝子の「単純な」一部だけを使っても複雑さは作り出せるかもしれない。実際, 遺伝子のうち「意味のある」情報が載っている部分はわずか数パーセントにすぎないといわれているのだ。生命=遺伝子, という単純な図式は必ずしも保証されたものではないのかもしれない。
 東京大学教養学部の教授である金子邦彦の場合はもっとラジカルだ。「遺伝子でプログラムされない遺伝」が可能かどうかを追求し始めている。金子はカオス的な性質をもった要素がたくさん集まったときにどのような挙動を示すかを研究するための理論モデル, 「カップルド・マップ・ラティス」【*2】の考案者として世界的に有名になった。彼が目指したのはまさに「単純な規則に支配されながらも複雑さを作り出す可能性を秘めた“要素”を, たくさん繋ぎ合わせたときの集団行動の研究」だった。彼が10数年前に提出した博士論文は保守的な物理学者から激しいブーイングを浴びせかけられたのだ(それは, 彼が博士論文の各所にエッシャーのだまし絵をちりばめたせいでもある。真面目な学術論文に, そんな「不真面目な」ものを付け加えてはいけない, というわけだ)。
今, 金子の矛先は生物学に向けられている。金子が生物学に矛先を転じるきっかけとなったのは大阪大学工学部生物工学科の四方哲也との出会いだ。四方は大腸菌を培養する実験をしていたが, 培養を長いこと続けると大腸菌が“役割分担”をし始めることに気づいた。盛んに増殖する「群れ」, 眠ったように活動を停止する「群れ」……。各々の「群れ」の構成要素を取り出して純粋培養しても遺伝的には全く等価だった。ここにも遺伝子では語り切れない何かがある。この現象を説明する「カップルド・マップ・ラティス」を考案して四方と論文を書き上げた金子は, さらに先に進み始めた。計算機の中に, 代謝反応をする化学物質=「生物」を作り, その遺伝を研究するのだ。栄養を取り合いながら, 増殖を繰り返す人工生命だ。金子は言う。「ここの計算機内にも役割分担は起きる。遺伝子=プログラムは同じままだ。しかも, それは“遺伝”する」
 計算機の中の生物がもつプログラムされた遺伝子は変わらなくても役割分担は起きる。しかも, 役割分担は親から子へと継承される。金子はさらに続ける。「役割の遺伝を担っているのは遺伝子ではない。個々の個体と他の個体との相互作用のようなもの, 総体的な関係性のようなものが伝えられているように見える」。 遺伝子なき「遺伝」は, しかし, 計算機の中にだけ見出されている。実験で見つかるかどうかは分からない。だが, 四方の実験を説明することに成功した彼のモデルが, この現象を「予言」できないとは誰にも断言できない。なぜなら彼は, カオス理論の分野において, 彼の「カップルド・マップ・ラティス」を用いて, 多くの現象を実験で発見される前に予言してきたのだから。
こういう話は全てヨタ話かも知れない。半世紀も経てばみんな忘れられてしまうようなクレージーな理論かも知れない。だが, どこかの王様は400年前にこう言ったのだ。「地球が回っているということを信じるよりは学者先生が嘘を言っているという方を信じるよ」。ある時代の常識はいつも別の時代の非常識だった。逆もまた真なり。今度がまたそうでないとは誰にも言えない。
【*1】DLADiffusion Limited Aggregation(拡散律速凝集)の略。
【*2】「カップルド・マップ・ラティス」
基本的なプロセスからなる離散時間ダイナミクス(マップ)を格子の上に並べ、それを結合させて発展させていくもの。
とくにカオス的なダイナミクスを格子上に結合させたものは時空カオスの普遍的なモデルとして様々な現象の予言, 基本概念の抽出に用いられている。 金子によるこの理論は, 1983年12月提出の博士論文に少し述べられ, そのあと1984年に論文となっている。著書「Collapse of Tori and Genesis of Chaos in Dissipative Systems」(World Sci. Pub.), 「Theory and Applications of Coupled Map Lattices」(Wiley)に詳しい。

田口善弘(tag@granular.com)ハードSF研究所員。MacUser/Japan誌付録CD-ROMInteractive Science Columnを連載中。物理学者。(http://www.granuar.com/tag/